2022年7月1日は香港がイギリスから中国に返還されて25年目の記念日だ。
イギリスと清朝の間で勃発したアヘン戦争の講和条約である南京条約で香港島が永久割譲されたのが1842年。そして1860年の北京条約で九龍半島南部がイギリスに割譲された。これが現在で言う九龍地区(カオルン)で、南は尖沙咀、東は観塘、北は九龍塘、西は茘枝角辺りまでがその範囲となる。そして1898年に深セン河以南の九龍半島と島嶼が99年という期間でイギリスに租借された。この部分が今で言う新界地区(ニューテリトリー)だ。
香港返還の経緯
それから99年後にあたる1997年に香港は中華人民共和国に返還されたことになる。これは1985年の英中共同声明により取り決められた。イギリスが香港を統治していた99年の間に中国は清朝から中華民国、そして中華人民共和国と変遷した。滅びた清朝から借りた土地を所在する場所とそこに住む民族だけが同じでまったく別の国である中華人民共和国に返したのだから随分律儀なものだとも言える。
しかも本来借りていたのは新界地区だけだったにも関わらず、もっと早い時期に割譲されていた香港島や九龍地区までまとめて返還してもらえたのは中国側から見れば大成果だったはずだ。そのときに返還後50年後(2047年)までは一国二制度のもと香港の資本主義体制が維持されると取り決められた。2022年2022年7月1日はちょうど折り返し地点ということになる。そんな節目の時だからなのか、あるいは今年秋に予定されている5年に一度の共産党大会で狙っている史上初の3選に向けてのアピールのためかわからないが今年の香港返還記念日の式典には中国の習近平国家主席も参加する。
香港特別行政区行政長官の交代
同じ7月1日、香港のトップである行政長官も交代する。2019年の民主化デモの対応でいわば歴代もっとも世界に名前を知られた長官となった林鄭月娥(キャリー・ラム)が任期満了で退任し、李家超(ジョン・リー)が新長官に就任する。李家超は警察出身で警察や消防などの治安部門を統括する保安局トップである保安局長であった2019年にはデモの制圧に厳しく対処した人物でもある。中央政府に忠実な強硬派が行政長官に就任して政治的締め付けが強化されるのではないかというイメージが抱かれているのも事実だろう。
しかし香港には一応国会にあたる立法会の議員を選ぶ選挙制度はあるが中国は新たに中国政府が認めた人でないと立候補できないという仕組みを作っており、もう民主派に公的な立場は与えられない。これは宗主国である中国が到底民主化を認める立場にないのである意味仕方がない。それを求める人にとっては悲劇的なことだが、一方でかつてほどの混乱を招く可能性も極めて低くなり、香港自体の安定感は増すとも考えられる。
一国二制度の重要な点
こうした政治的な変化により一国二制度は失われたという論調の報道も多いが、これには違和感がある。そもそも一国二制度は政治的な別制度のことではなく、宗主国の中国が社会主義を採っている一方で香港は資本主義制度の維持という経済的な枠組みの話だったはず。たしかに以前は香港の政治的自由度はより高かったが、それはある意味中国が”この程度であれば、、”と勘弁していたようなものだった。それが大規模な反政府活動を生じさせるに至り、いよいよ看過できなくなったので抑圧に動いたというのが実際のところだろう。
一国二制度における本当の香港の価値は香港ドルという独自通貨と金融政策を持ち、タックスヘイブンの一角に数えられるほどビジネスや投資に有利な税制を備え、本土との行き来にもパスポートチェックを必要とするイミグレーションが存在する世界でも特異な性質を備えた場所。それが一国二制度のキモの部分であり、中国にとっても非常に利用価値の高い経済的機能のなるのである。
ちなみに先に中国は社会主義と書いたが、それはすでに有名無実化している。社会の富の生産に必要な財産を社会で共有し、そこから生み出された利益を皆で平等に分けているという事実は存在しない。実体は一党独裁資本主義国家であり、その唯一の党の理念が社会主義なので看板を下ろせないだけである。逆に長年こちらで生活している経験と肌感覚では中国人ほど資本主義に向いた人たちもなかなかいないと思えるぐらいだ。
いずれにしてもそんな国の特別行政区として香港は一国二制度後半戦に入る。