上海の挫折と都市封鎖の行方
Sorry, this entry is only available in 日本語. For the sake of viewer convenience, the content is shown below in the alternative language. You may click the link to switch the active language. そこで暮らし始めたのは27年前の1995年。蘭州ラーメン1杯が3元(当時のレートで約45円)、青島ビール大瓶が4元(同約60円)100円ちょっとでそこそこ腹を満たして、ほろ酔い気分になることができた。 よれよれの人民服を来た年配の男性が闊歩し、朝夕の通勤時には自転車の大群、粗末な街灯がぽつりぽつりと並ぶだけの通りは夜になるとほぼ真っ暗、当時最新のマンションでも水回りは悪くシャワーの途中で温水が出なくなることなど日常茶飯事。当時の最先端の都市の一つであった東京から来た身にとっては発展途上国の大都市というが印象が強かった。